備忘録的日記

日々雑感を記します。

テレパシー?

今日、以前世話になった職場のことをかなり久々に思い出した。なぜ急に思い出したのかは謎。そしてつい先ほどカバンに入れっぱなしだったスマホを見たら、その職場からの着信履歴があった。

こういったことが過去に何度もある。偶然だろうかと考えてもみたが、その職場のことを思い出したのは相当久しぶりなので、テレパシーだと思う。

テレパシーというのはあるのだと信じているが、そこで思うのは、ある時急にご先祖や亡くなった人のことを思い出すときだ。

やはりその時は天界から何らかのメッセージが送られているのだろうか?

それとも目には見えないが、そばに来ているのか?

急に神社や仏閣を思い出すのも何かの知らせなのだろうか?興味は尽きないが、

私は霊感や特別な能力が無いので解らない。

 

脳梗塞備忘録5 普通の人でも病院だと幽霊を見てしまうのか

真夜中の病院。真夜中の病棟。

 

それも脳の急性期病院。ほぼ毎日救急車が入ってくるような病院に入院していた。

 

3週間もいれば幽霊を一度ぐらい見そうなもの。

 

入院中寝付けない日々を過ごしていた私はトイレついでに深夜の病棟を時々だが徘徊した。

 

まずは自分の病室がある4階を探索。回復期の患者の階である。

ナースステーションの光以外は非常口案内表示灯の緑色の明かりのみ。しかし、何もなし。何も感じずであった。

 

次に階段を使い3階へ。4階と同じ構造である。ここも特には何も感じなかった。

 

次に2階。集中治療室と手術室の階。立ち入り禁止なので入らなかったが、ここの雰囲気は全く違った。階段からも雰囲気の違いを強烈に感じる。

あの雰囲気の違いは何なのか、言葉では説明が難しい。感覚的にここには入ってはいけないなと感じた。怖くなってここは早々に移動。

 

次に1階。診察室やら待合室、検査室、リハビリ室など。特別何も感じなかった。

 

結論としては、2階以外は何も感じなかった。更に、入院中の3週間、幽霊なるものを見ることはなかったし、感じることも、不思議な現象に遭遇することも一切無かった。

 

霊体を見たり感じたりすることはなかったが、存在は信じているので、単に自分に見るたり感じたりする能力が無かっただけだろう。

 

しかし、夜の病棟で一番に感じたことは、霊の存在等ではなく、夜勤中の看護師さんの大変さであった。看護師はタフでないと務まらないなとつくづく思った。

 

脳梗塞備忘録4 脳梗塞当日、そして入院へ

脳梗塞が発症前の1週間、手のしびれを覚え始めた頃、とある夢を見るようになった。

 

私はオカルトや霊界とかそこまで興味のある人間ではなかったが、この夢を見たことにより、霊界の存在などを強く意識するようになった。

 

もちろん当時はなんとも不思議な夢を見るようになったものだと疑問に思うだけだった。

 

内容は詳しく書いてはならない気がするので書かないが、脳梗塞後にあの不思議な夢を振り返ると、やはり霊界は存在すると確信をもたざるを得ないのだ。

 

しかし、巷のホラー的な霊(お化け)に関しては否定的だ。あれはエンターテイメントだし、霊は脳が存在を直接感知するもので、デジタルカメラやビデオに映るということはありえないと思っている。

 

脳梗塞に話を戻す。

 

入院前夜、強烈な吐き気と気持ち悪さに襲われた。原因が不明なので、とりあえず寝ようと、その時は寝た。

 

すると吐き気は収まり、何も問題なく、その晩は眠りについた。

 

翌朝、9時起床。若干の気持ち悪さと立ち眩みのような状態。これはいつもと違うなと思いつつも。まさか脳梗塞だとは思っていなかったので、少し安静にしていた。

 

気持ちが悪く、立ち眩みというか、不安定感があるので、もしかすると脳に何か問題が起きているのかと考え、ネットで脳神経科がある病院を探していた。

 

11時ごろ、いよいよ気分が悪く、車で病院に行こうとするも、運転しようと車を駐車場からだそうとしたが、車両感覚が全く掴めない。

 

完全に何かがおかしいし、気分が悪くて動けなくなってきたので、運転席に座ったまま20分ほど安静に。

 

どうにも収まらないので、近くに脳神経科のある病院があるので、歩いていこうとするも、まっすぐ歩けず。それでも1キロほど移動。

これはいよいよおかしいと親に電話し、病院にいくと説明。

しかし、その時すでにろれつが回っておらず、父には何をしゃべっているかわからないと聞き返された。なんとか、病院に行くことを告げ、それは通じた。

 

ふらふらと歩きながら駅前まで移動。その距離は2キロほど。

タクシーに乗車し、ろれつの回らないものの脳専門外科を告げ、冷や汗と吐き気で意識朦朧の状態で移動。

 

病院に到着するも降車時に転倒。運転手が慌てて助けに来て、院内に看護師を呼びに行く。すぐに車いすをもって看護師が来てくれた。

 

救急車ではなかったのですぐに検査ではなかった。なんで救急車で来なかったの?と看護師さんに言われる。。。確かに。しかし、単身住みで、呂律が回らず、すでに駅に向かって歩いていたので、その時はもうどうにもならなかったのだ。

 

問診、血液、MRIなど一通り行い。その間に看護師が両親に電話。脳梗塞で緊急入院の旨を告げる。

 

画像を見ながら主治医が、かなり危険な部分をやっていると説明。脳幹であった。下手をすると首からしたがマヒという状態になるところだったらしい。

左半身マヒで済んだのは奇跡だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

脳梗塞備忘録3 手のしびれと失業保険

このまま、この仕事を続けると大変なことになる…という思いから転職を決意し、転職活動をするも、新年早々、高熱を出して一週間寝込むことに。

 

結局、次が決まらない状態で退職日を迎える。これは極力避けたかったが、続出する退職者と続々と入れられる中途採用新入社員の教育とカバーでどうにもならなかった。

 

ハローワークで見つけた職場だったのだが、月の残業が150時間から200時間(サービス残業)だったのを失業保険手続き時に言ったところ、自己都合退職ではなく会社都合退職(特定理由離職者)となり、失業保険が即支給となった。

 

しかし、転職サイトに登録し、応募するも次の職は容易には決まらず、失業保険受給の為のハローワーク通いの日々。いたずらに時間が過ぎる。

 

そして12月ごろより、左手指先に痺れを感じ始める。非常に軽い症状であったし、気にも留めなかった。それが脳梗塞の兆候などとは勿論知りもしなかった。

 

12月は1週間ほど、久々にたばこを吸ったのだが、これが軽い痺れの原因だろうかと、止めた。(これも原因の一つであろう)

運動はまったく不足しており、2日に一度の外出と週末の散歩のみ。

食事は野菜が極端に不足、インスタント食多め、塩分多め、油多めの食事だった。

 

運動不足、飲酒、喫煙、バランスの悪い食事、そして失業状態。脳梗塞になる条件が完璧に揃っていた。

 

 

 

脳梗塞備忘録2 最初の兆候

最初に異変を感じたのは2016年年末。業務で成田空港にいた時だった。

 

その日は早朝4時に起床、6時に空港到着し、必要な書類を揃えている最中だった。

 

突然、強烈な吐き気と眩暈に襲われた。完全に血の気が引き、立ち眩みが襲ってきた。

 

入管ブース前のベンチにてへたりこみ、30分は動けなった。

 

これが最初の脳梗塞だった。

 

当時、月の残業時間は自宅対応も含めると150時間ほど。

 

早朝、深夜対応など不規則な勤務が多かった。食事は3食とっていたが、昼と夜は栄養バランス無視の脂と塩分過多のものだった。

 

30分もすると体調は回復し、そのまま業務を続行。

 

1回目の脳梗塞をやった時、その会社で4年目だったが、会社は健康診断の為のスケジュールは組んでくれず、結局退職まで一度も健康診断はしていなかった状態。

 

この謎の体調不良で「このままこの仕事を続けているとまずいことになる」という思いが強く心に残ったのを覚えている。

 

 

再就職活動 40歳超え、脳梗塞歴、1年のブランク

40歳オーバー、脳梗塞の既往歴、1年のブランク。独身。

このハンデを乗り越えて、正社員就職は可能だろうか。

しかし、やるしかない。それ以外にないのだから。

 

脳梗塞備忘録1

昨年末、41歳という若さで脳梗塞となり、人生を再スタートすることになった。これを機会に日記を付けていこうと思う。

幸いこの2度目の脳梗塞(医者の話によると過去の隠れ脳梗塞の跡が見つかった)の場所は脳幹という、かなり危険な場所をかすめたものの、後遺症は軽く、最初はマヒして動かなかった左半身も若さゆえの回復力とリハビリでなんとか見かけは動くようになった。

 

しかし、完全に元通りというわけではなく、動きはぎこちなく、しゃべりにも違和感が残り、夜になるとジクジク痛む神経性疼痛など後遺症が残っている。

以前は普通に、無意識に体を動かしていたが、今ではスムーズに体の各部を動かすには意識して動かさす必要がある。

 

未熟児として生まれ、体力も対人能力もなく、とてつもなく不器用で、ただ親と運には恵まれていると思う。この若さで脳梗塞をやったが、自力で歩き、しゃべることも、書くことも、食べる出来るのでかなり幸運な部類なのだ。入院していた病棟の中を見てまわって心からそう思った。

 

仕事、友人、嫁、金

すべて無。

あるのは希望と気力のみ。41歳独身無職、人生リスタート。